在学中に自身でファッションのサークルを立ち上げたのは1年生の頃、もう6年も前のことになる。
「ファッションの楽しさを多くの人に知ってほしい」という思いで始めたのは、ストリートスナップなどのファッション情報をフリーペーパーとして発行するサークル。
当然のことながら立ち上げ当初の知名度はゼロに等しかった。
あまつさえメンバーさえほとんど揃わず、ぼくを中心とした2人か3人くらいで細々と活動を続けていた。
当時は夏の猛暑の中も、冬の寒空の下でも、ひたすら街に出ておしゃれな人のスナップを撮影していた。
特に夏場が辛くておしゃれな人を撮影しているぼくたち自身が汗だくで、お世辞にもおしゃれとは言えたものではない。
撮影したスナップ写真をもとに、その他の特集企画を考えその取材を組む。
触ったことのないIllustratorに悪戦苦闘しながら紙面のデザインを仕上げ、協賛を取るために電話を掛けて飲食店に訪問した。
カメラマンがいないときは知り合いの伝(つて)を使って紹介してもらい、デザインに行き詰まったときは同じく友人経由で芸大の学生に一部制作をお願いした。
そうやって完成した原稿を印刷し、学内に設置する。一部は協賛金でまかなうが、当初は半分以上が自費での出版である。
メンバーが全然集まらずに孤独を感じたこともあったし、活動内容をネットで揶揄されたこともある。
それでもぼくはどうしてもこのサークルの活動を成功させたかった。そのためにできることはなんだってした。
そこまで熱くなっていた理由は今となってはわからない。
ただ言えることは、そのサークルは当時の自分にとってアイデンティティであり、自信の拠りどころであり、ぼくの学生時代そのものだったということ。
ぼくにとって象徴的な出来事が起こるのはその2年後の大学祭。
毎年大学祭では、最終日の夜にミスコンなどの大学祭事務局が企画した注目度の高いイベントが盛大に催される。
その年はメインコンテンツの1つに「大学生ビフォーアフター」というものがあり、この企画のファッション監修として、ぼくのサークルに声がかかったのだ。
内容は自薦してきたパッとしない学生をファッションで垢抜けさせるというもの。
その人に合ったコーディネートを提案し、当日は壇上でそのスタイルのポイントなどについて解説するのが主な役目。
立ち上げから約2年。知名度ゼロから始め、当初はメンバーさえもろくに集まらなかった。
そんなサークルに大学祭事務局から依頼がくるなど立ち上げ当初は思いもしなかったが、これまでやってきた2年間が報われたような気がした。
「壇上に上がって人様にファッションについて語る」
そんな自分にとってハレの日。ぼくが着る服として選んだのがJUNYA WATANABE COMME des GARÇONS MANのテーラードジャケット。
購入したのは大学2年のときで、もう5年ほど前のことになる。
同色系の青でチェック柄を織り成した生地。
見た目とは裏腹に大きめのラペル、しっかり入った肩パッドなどクラシックなディテールで、袖を通すと身の締まる思いがする服。勝負の日にはうってつけだった。
自分のやってきたことが認められた嬉しさと、緊張と、不安。このジャケットを着れば本番中はそんな浮き足立った気持ちも全て忘れられるような気がして。
「ファッションは自分を守る鎧」という人がいる。
あの日壇上に上がったときのぼくにとって、このジャケットはまさに鎧のようなものだったと思う。
そんなことをふと思い出したのは、先日結婚式の二次会でこのジャケットを着たときだ。
あの日以来、このJUNYA WATANABE COMME des GARÇONS MANのジャケットは、ぼくにとってハレの日に着る服になった。
楽しいときや祝いの場ではもちろん、少しの勇気が必要な場面やここぞというとき。ぼくはこのジャケットを身に纏う。
そして鏡の前で軽く襟を正しながら、よし、と小さく呟く。ぼくなりの決起の儀式だ。
これを着たらもう後ずさりはできない。これまで幾度とハレの日を乗り越えてきた過去が今の自分を支えてくれているから。
あの日の自分に負けてはいられない。
JUNYA WATANABE COMME des GARÇONS MANのジャケット / 5年以上愛用しているアイテム#5
#1 BEAUTY&YOUTHのライダースジャケット
#2 White Mountaineeringのバックパック
#3 foot the coacherの長財布
#4 Gaspard Yurkievichのバックパック
#6 70’sのヴィンテージTシャツ