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30万円のコートを買うとき、ぼくは何を買っているのだろうか。

9月に入って空気に秋の匂いが感じられるようになりました。気温もぐっと下がり、過ごしやすい日々が続いています。最近は雨がちな日が多いですが、この雨を抜ければまた秋へ一歩近くのでしょうか。

冬が好きなぼくにとって今の時期はファッションで一番楽しい季節。店頭に冬物がずらっと並び、来たる秋冬に向けて想いを馳せながら何を買おうかと連日頭を悩ませます。

そこで見つけたとびきり素敵なコートがいま、とびきり欲しい。いつもなら息をするように購入するところを珍しく躊躇しているはその値段。税込約30万円という代物です。

1着のコートが30万円というのは普通の感覚からすると高すぎる。なんならその半分の額でも相当な質のコートが買えてしまいます。製造原価が物の値段ではないことは重々承知していますが、素材の良さ、縫製など作りの丁寧さなどをどう見積もっても30万円は高い。

だとしたらぼくはなぜそんな価格に見合わないようなコートが欲しくなっているのだろうか。30万円のコートを買うとき、ぼくは果たして何を買っているのだろうか。

そんなことをぼんやりと考えながら、あてもなく文章を書いてみることにします。

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服そのもの

まずはもちろん30万円を出してその服そのものを買っています。店頭にずらりと並んだ商品の中から、デザインやサイズを吟味した上で1着を選んで家に持って帰る。

外の世界のクローゼットに吊られた服から自分だけの1着を見つけ出して、お金を払いそっと自宅のクローゼットにしまう。服を買うときのぼくのイメージはこんな感じです。

 

買う瞬間の高揚感

自分が本当に気に入って欲しいと思う服を買う瞬間は気分が高揚します。もしかしたらその瞬間の高揚感を買っているのかもしれません。

「月額3,000円でスタイリストがあなたに合う服を一式送ります」というようなサービスは、この買う瞬間の高揚感を重視していない人には良い選択肢かもしれません。

 

所有の満足感

買うはその瞬間だけの点的な行為なのに対して、所有はその瞬間から続いていく線的な状態。格好良いアイテムを所有している(あるいはこれから所有することができる)という満足感を買っている部分も多少ならずはあると思います。

もっとも世間的に所有への価値が薄れてきているのはご存知の通り。ブランドバッグレンタルなどの業者の存在がそれを物語っています。

 

将来へのワクワク感

ぼくが服を試着したり買ったりするとき、頭の半分はほとんど妄想の世界に入っています。

それは「これはあのアイテムと合わせたら良さそう」といった現実的な妄想(現実的な妄想?)から、木枯らしが吹く並木路をこのコートを着てポケットに手を突っ込んで前かがみ気味に歩く自分といったどうしようもない妄想まで様々。

このワクワク感は間違いなくファッションの中毒性であり、人が服を買う理由の一つです。妄想のシーンが現実とかけ離れていればいるほど、その中毒性は増します。まだ汗ばむ季節から店頭にずらりと冬物コートが並ぶのも、それがたまらなく欲しくなるのもきっとそんな理由。

ちなみに服を試着する時の一番の盛り上がりポイントは、着替えてフィッティングルームから出てやや引きの距離から大きな鏡で自分の姿を見た瞬間。自分にドンピシャリと合う服でこれをすると、自分の眼前に突如パリのシャンゼリゼ通りが現れたという報告がぼく含め複数の人間からあがっています。

 

作った人への敬意表明

これは特にクラフトメーカーなど小規模でやられているブランドの場合に多いですが、物を買うということは職人への敬意や共感の意思表示です。ブランド活動への共感の形は様々だと思いますが、商品を挟んで売り手と買い手として対峙するとき、やはりそれを買う以上の賞賛はないと思います。

素晴らしい服を作ってくれたことへの感謝を込めて、そしてブランドがこれからも続いていくよう応援するように。買うという行為を通してそうした思いを表現している面もあります。

 

ブランドに対するロイヤリティ

ブランドが作り出しているものが「世界観」である以上、そこにはコミュニティ的な一種の帰属意識が生まれるものだとぼくは思います。その服を纏うことにより、ブランドの作る世界観の住人にひとつ近づく。そんなブランドに対してロイヤリティを示すことによって得られる高揚感や満足感、はたまた全能感も服を買う理由になり得ます。

一度素敵な服を買うと次のシーズンもまたそのブランドの新作を見たくなる。そうして少しずつブランドにハマっていく過程はとても楽しいものです。

 

明日への活力

心にモヤモヤがあるとき、どことなく満たされない感覚があるとき、ぼくは服を買いたくなります。

服を買うというのは現在を起点に未来にベクトルが向いた行為。素敵な服を見ると気分が晴れるものだし、それを買ったら早く着て出かけたいと思うもの。「明日への活力」というと大げさですが、明日がちょっと楽しみになるささやかな楽しみを買っている面もあります。

また副作用的として、お金を使うことで「明日からまた頑張らないと」と自分を奮い立たせる効用も。

 

新しい自分

ぼくがファッションに目覚めたのは中学生のときに黒のテーラードジャケットを着た自分を見て、その大人っぽさと格好良さが忘れられなかったからでした。

「無骨な革ジャンを着たら少しは男っぽくなれるかも」

「襟付きシャツを着ることで大人な自分になりたい」

人はそうした自分の心にある変身願望を服に託しているのではないでしょうか。つまりは服を買うというのは手段にすぎず、本当に欲しいのはいつもとは違う新しい自分なのかもしれません。

 

物を買うとき、買っているのは物だけじゃない

とりとめのない文章になってしまいましたが、服を買うときにぼくが本当に欲しているものを書き出してみました。服が好きな人は普通の人から見ると高い買い物をしますが、それは服を買うことにいろんな意味を見出しているから。

30万円のコートに物として30万円の価値を感じられなかったとしても、買ってしまう理由は確かにあるのです。

そしてなにもこれはファッションに限ったことではありません。ヴィンテージワインのコレクターからAKBのCDを買うファンに至るまで、買っているのは物そのものだけではないはず。

今月の巻頭所管で「物と体験は切り離せるものではない」と書いた通り、物を買うことは体験を買うことと一体なのだと思います。

ここまで長い言い訳に付き合っていただきありがとうございました。さて、コートどうするかなぁ。

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